Tsudoh店主タッキーの自伝コラム 第2回


第2回【中学時代の音楽とオーディオ】

中学に入る頃には音楽とオーディオに夢中になっていました。

その頃、読んでいた初歩のラジオにはオーディオの新製品紹介や広告が結構あったのと7つ年上の従弟の影響です。

中学校への進学祝いでラジカセを買って貰えることになりました。

本格的なコンポが欲しかったのですがそれは無理でした。


【写真1】本当はこんなセパレートタイプのコンポが欲しかった。アンプ、チューナー、カセットデッキ、スピーカーを揃えると20万円を超えるのでさすがに中学の入学祝いなんかで買ってもらえるようなものではありませんでした。

しかし、何か1つだけなら買ってもらえそうだったのでラジカセの代わりにWカセットデッキを買って貰いました。

サンテラスユニー(現アピタ金沢)の3階にオーディオ専用コーナーがあってそこで買ってもらいました。

うちには自由に使える巨大なラジカセがあったのでしばらくはそれに繋いで使って、後にアンプとスピーカーは自作する計画でした。


【写真2】当時、家にあったのはコレだったと思う。とにかく巨大で重かったけど音は良かった。元は父親のだったけどほとんど自分の物のように使っていました。


【写真3】当時、流行っていたのは小型でポップでオシャレなラジカセでした。だいたい、みんな中学の入学祝いで買ってもらっていたようです。しかし当時から音にうるさかった私は全く興味がなかったです。とにかく音がショボく家の巨大ラジカセの方がはるかに良かったからです。
 

アンプはユニットキットを使いました。エレキットの10Wのユニットキットを2つ使いました。サンヨーのアンブ専用ICを使ったやつです。安定化電源は自分で作り入力セレクターをつけました。

当時、近くにオスカー(現カーマ)があってそこには自作スピーカーのコーナーがありスピーカーユニットや組み立て済みのエンクロージャー、吸音材などが売ってました。

ユニットはテクニクスのフルレンジ12センチでした。

当時一個3000円くらいだったのですが中学生にしては高価で2つ同時には買えませんでした。


【写真4】このテクニクスの10センチのモデルですね。当時2800円だったのですが中学生にしては凄く高価に感じました。センターキャップがアルミ製で触ると凹んでしまい2度と戻ることもないので凄く気持ちも凹みました(笑 フルレンジ一発でも音は良かったです。


エンクロージャーは既成のものでこれも2000 円くらいだったと思います。

結局、2つ揃えてステレオになるまで数ヶ月かかりました。

当時、初歩のラジオには長岡鉄男氏のスピーカー製作記事が載っておりいつかスピーカー自作したいと思っていました。

しかしスピーカー工作には電動ドリルの他、丸ノコなど工具も沢山必要で金のない学生には無理でした。


【写真5】当時の「初歩のラジオ」はだいたい毎月、スピーカーの製作記事が掲載されていました。この頃から長岡鉄男といえば自作スピーカーの第一人者でした。大人になったら工具を揃えてスピーカー自作したいという野望はいまだにかなえられていません。道具はあるけど時間と気力がない(笑

 

この頃の音源の入手方法といえばエアチェックが唯一の手段でした。

NHK金沢放送局で公開放送されていたFMリクエストアワーは毎週聞いてエアチェックに励んていました。

この番組の良い所はリクエストのあった曲を最初から最後までキッチリ掛けてくれることです。途中でアナウンサーの声がかぶるということもありません。

アナウンサーも「エアチェック派の方、スタンバイよろしいですか?」と曲をかける前に言っていたのを覚えています。

その頃、音源の入手自体が貴重だったので放送された曲は洋楽邦楽ジャンル問わず、すべて録音しました。


【写真6】懐かしのマクセルUDII。ブラックのケースにゴールドのデザインで高級感があったのですが高かったのでノーマルのUDIを良く使っていました。ノーマル、ハイポジ(クローム)、メタルと3種類のカセットテープがありました。

この頃は音楽が聴けるというだけで満足で純粋に音楽を楽しんでいたと思います。音質なんかもそんなに良くなかったと思うけどほとんど気にしていませんでした。

元々、ノイズまみれの短波放送で音楽聞いていたのですからFM放送は天と地くらいの差があります。

私はWカセットデッキを持っていたので友達から借りたカセットテープのダビングなんかもやっていました。

そのころレンタルレコードもあったのですがやはり金のない学生の身では易々と利用はできませんでした。

それでも自分の部屋で自作のシステムで音楽が聞けることが嬉しく充実した音楽ライフを送っていました。

Tsudoh店主タッキーの自伝コラム 第1回

Tsudoh店主タッキーの自伝コラム 第1回
【私の小学生時代】

私が音楽に興味を持ち始めたのは小学生の頃だと思います。

ザ.ベストテンというテレビ番組を良く見ていました。

そのうちラジカセで録音するようになりました。

ラジカセ本体に内蔵のマイクで録音するのですが録音の最中に妹や弟の声が入ってしまって、だいたい失敗してました。

小学生の頃よりラジオ制作に夢中になってたのでよくラジオで音楽番組を聞いていました。

自作の短波ラジオで海外の局から流れる洋楽を良く聞いてました。(大人になってからあの頃聞いてた曲はマドンナだったんだ、とか知りました・笑)

部屋中にアンテナ線を張りめぐらせ様々な国の短波放送を聞いていました。

当時、有名だったのはサイパンから放送されていたKYOIです。日本語

放送もあって24時間、洋楽のロック、ポップスを放送してました。

自作の短波ラジオはクリスタルイヤホンから鳴る小さな音量なので夜、ベッドで聞いてました。


【写真】確か作ったのはコレだったと思う。小学生にしては難易度高め。

電波の状態によっては雑音ばかりで聞けない日も良くありました。

アンテナを工夫していかに安定して聴けるか心血を注いでいました。

オーディオへの興味はこの頃からありました。

7歳年上の従兄弟が同じ市内に住んでいて良く遊びに行ってたのですが、その従兄弟がトリオのステレオセットを持っていたのです。

小学生ながらそれが凄い憧れていたのを覚えています。

アマチュア無線もやっていて、それも憧れでした。

その従兄弟の影響で電子工作にのめり込むことになります。

小学生の時に既にスクラッチでラジオ、アンプなど色々作っていました。

電子工作キットもかなり沢山つくりました。

こういうものに関しては割と自由に買い与えて貰ったと思います。

とにかく、何か作ることが大好きでした。

小学3年生の時には発明工夫展で入賞したこともあります。

毎月買って貰っていた雑誌は初歩のラジオです。


【写真】初歩のラジオ、ラジオの製作など

電子工作の月間誌なのですがオーディオ、アマチュア無線、BCL、音楽と幅広い記事が掲載されてました。

従兄弟からも大量の初歩のラジオを貰って隅から隅まで読みました。

そういうわけで、小学生時代は家にあったラジカセと自作ラジオで音楽を楽しんでいました。

当時、読んでいた「初歩のラジオ」は今でも大切に保管しています。

時々、本屋で立ち読みしていたのが「無線と実験」でした。

こちらは本格的なオーディオ誌なのですが小学生の私には少々難しかったと思います。

製作記事も真空管を使うものなど費用のかかるものばかりでした。

というわけで小学生の頃から「なにか作る」ということは大好きでした。

中学に行くと更に自作熱は過熱していきます。

次回、中学生編。

 
【写真】度重なる引っ越しで紛失したものもあるが大切に保管している。
ボロボロになるくらい読み込んだので状態は悪い。


【写真】エフェクターの自作記事もあったのでエフェクターというものの存在は知っていた。ギターを弾かないのでどういうものかはよくわからなかったけど。これが将来、仕事となるとは想像すらできなかった。


【写真・初歩のラジオ1980年9月号より】
当時、凄く作りたかったアンプ。小学生の小遣いでは到底無理でした。今ならチューブアンプでも作れるけど(笑 ただ記事は熟読していたのでオーディオアンプの原理や仕組みは当時から理解していました。自称オーディオマニアという人でもA級、B級アンプをハードレベルで語れる人は少ない。